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《愛は、恨みを抱かない》
『愛は・・礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。』 (Iコリント13:5)
今回ヨハネ黙示録を学びましたが、その中で終末時代に赤い龍に勝利する為には、私達が小羊の血と自分達の証の言葉で武装しなければならない、という事を知りました。その中で一体小羊の血とは何なのか、という事を聖書から学び直しました。
小羊の血とはアガペーの愛であり、赦しであり、第二に柔和という事であり、第三に従順であり、第四に純潔であり、第五に謙遜であるという事について学びました。これらは全て神の命ですから、私達罪人の中にあるものではありません。それ故にIコリント12:31に「もっと大きな賜物を受ける様、熱心に努めなさい」と記されていますが、これは求めなければならないものだ、という事が分かります。その中で、愛は如何なるものであるかという事が13:4〜7迄に述べられています。
この愛の一つの特徴として、今回お話する「恨みを抱かない」という特質があります。「恨みを抱かない」と訳されている原語の意味は、直訳すればフランシスコ会訳の聖書に「人の悪を数え立てない」と訳されているのが、一番原意に近いと思われます。また塚本訳では「人の悪い事を根に持たない」と訳されており、その意味をよく表わしていると思います。
ギリシャ語のロギソマイという言葉は元々計算するという意味であり、直訳すれば「人の悪を計算しない」という事になります。このロギソマイという言葉は大変意味深い言葉であり、Uコリント5:19では「神はキリストによって世を御自分と和解させ、人の罪の責任を問う事なく」と訳されている言葉です。「問う事なく」というのは、私達の罪の責任を計算して、責任を問う事はされなかったという事です。それは、21節「罪と何の関わりもない御方を、神は私達の為に罪となさいました」ので、その事によって私達の罪の負債は完全に計算済みだ、というのです。
マタイ18:21〜でペトロがイエス様に「何度、赦すべきでしょうか」と尋ねました時に「7を70倍する迄赦しなさい」とお答えになりました。しかし、自分の借金6千億円 (1万クラント)を赦されても、他人の借金百万円を赦せないというのが人間の現実です。しかし、今日の聖書の箇所を読んでみると「隣人の悪を数え立てない」という事で真にこの「7を70倍する迄の赦しに生きよ」と語りかけています。バジレア・シュリンク女史の本を読んでみると、自分にひどい悪をした人を赦せないでいる惨めな自分に気付き、2年近くの長い年月その罪を悔い改める事が出来る様に祈って勝利した、という事が書いてあります。
彼女はこう言っています。「確かに自分が中々赦せない事に気付いていましたが、この人が私の全てを台無しにした事を思えば、それは当然と考えていました」彼女は自分になされたその悪事を数えて生きていたのです。即ち人の悪をいつも心に抱き、裁きつつ生きていました。しかし十字架のイエス様は心から赦して隣人の悪を思わず、むしろ祝福を祈る様に教えておられます。この十字架の赦しの命に生きる事が、小羊の血の中に生かされる事の意味です。
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